暴力的な白の中、ホカホカ汁物

TCKによる元・留学ブログ。夢を手放して色んなことをリハビリがてらやりたいな

好きな景色への向き合い方

いきつけのスーパーのすぐ近くにはホームセンターがある。ちょっとした日用品やアウトドア用品、カートン売りの酒まで置いてあって何かと便利だ。しかし一番嬉しい点といえば、園芸用品が置いてあることだろう。スーパー側に面した屋外の植物コーナーは、脇を通り過ぎるだけでも目に優しい。
この日は天気もよく、スーパーにたどり着くまでの街路樹も黄葉が金のように輝いていた。外に出て良かった。引きこもりだから些細な変化がもたらす喜びは大きく感じられる。
どの秋色も綺麗だけれど、11月といえば私にとっては薔薇の季節である。
薔薇はこの世界の宝の一つだと思う。実は私の家から歩いて行ける範囲に薔薇園があり、その事実だけで心が安らぐ。しかし最後にその薔薇園に行ったのは半年も前のことだ。
気温が高く空は青い時期なのに、それでも食料の買い出し程度にしか外出しない自分がこの買い物の後でどこかに行けるだろうか。多分行けない。どんなに良いことがあると分かっていても、とにかく外出は大変だ。
だからホームセンターでしのごうと思った。薔薇欲を満たしたい。買い物袋はいつもよりやや軽かった。再開した筋トレの効果でそう感じただけかもしれないが、とにかく、帰り道のルート一本線に小さな輪っかをひとつ増やす程度なら足取りは軽い。
ホームセンターの庭コーナーの中に薔薇が集められた区画があるので、そのまわりをくるりと回ろうと進んだ。
一緒にいた親に話しかけられてレモンにも目を向ける。造花の飾りと本物を見比べる。店内BGMの知らないポップスがやけに響く。
20秒ほどの短い滞在で綺麗な薔薇がいくつも目に入った。しかし、体感したのは「少なくとも今秋の薔薇を一度は見る」という、最低限の実績を得た満足感でしかなかった。どうしてだろう。

 

色々と好きな花はあるけれども、中でも特別な気持ちを抱くのは派手で香り高い花だ。薔薇、芍薬、牡丹など。特にきっかけがあるでもないので、どうしてこう特別に思えるかは分からない。とにかく、花と対面するだけで不思議な異界に私一人だけ拐われるような気持ちになる。
胸がドキドキするし、唾液の分泌量が増えて涙が溢れてくる。多分恋だと思う。色んな種類が植えられているガーデンに行けば大体お気に入りの子が見つかる。可愛い花やセクシーな花がある。頭の中で架空の物語が勝手に展開されていき期待が高まる。性的な魅力を覚える――語弊はあるかもしれないが、こう表現してもいいくらいだ。

 

もしかしたら私は薔薇と向き合う時は一人じゃないといけないのかもしれない。極めて個人的な体験をするとき部外者がいては、(実際に頭の中を覗き見られるわけでもないが、)恥ずかしいし気が散る。ムードに合わないダサい曲も良くない。薔薇とは二人きりで会いたい。
帰宅後一人で珈琲を淹れる時にこう気が付いた。コーヒータイムという、自分の世界に浸る時間を作ったことで、別の脳内世界の存在を思い出したわけだ。ドリップ中の珈琲の泡の表面は油分で虹色に光っていて、焦げ茶の豆によく映える。
うっとりする光景に出会えるという共通点はあっても、珈琲は恋人ではないので家でも飲める。薔薇は妖精のように束の間の恋なので、家で育てようと思ったことはない。どの植物を育てても上手くいかない、いわゆる緑の指とは程遠い、茶色い指を持っているのでどのみち無理だ。すでに死ぬ運命にある切り花は遠慮なく飾りたがるが。
それでも薔薇の香りは薔薇園の中でこそ味わえるものだ。やはり電車を使って行ける場所の薔薇にだって会いに行くべきだ。

 

こうして薔薇園での夢のような体験を思い出していたら、引きこもりの重たい身体の存在を忘れてしまった。薔薇の恍惚はまさに身体的な体験だというのに、なんだか不思議だ。
ああでも、こうして「薔薇を愛でる悦びは自分だけのもの」といっても、やっぱり綺麗な花の綺麗さをうっとり他人に語ってみたい気もする。

 

少なくとも、このように他人に見せるための文章に記してみたことで、この翌日薔薇園に会いに行くことができた。