暴力的な白の中、ホカホカ汁物

TCKによる元・留学ブログ。夢を手放して色んなことをリハビリがてらやりたいな

2023-05-06 人の役に立ちたい?

お金がほしい、職歴がないとそろそろ将来がやばい…なんていうのももちろんあるけれど、就職した理由の大きな一つとして、世界に居場所がほしかった、というのがある。

 

仕事を喜ぶ自分。穀潰しと言われることもなく、自分の活動で何かが動いていることを喜ぶ実感。
数年の間のニート生活の中で、人の役に立ちたい自分は自己実現の機会を得ることがなくて辛かった。それじゃあ、仕事始めてようやく水を得てめでたしかというとそうでもない。

ニート期間というのは高くジャンプするための深い踏み込みの期間だよ」なんていう慰めもよく見かけるけれども、ニート期間に味わった惨めさをバネにして働き続けるのは私には難しい。

あんまり自己実現する機会がなかった自分にも楽しい思いをさせたかったのに、満足する前に、その自分はどこかに行ってしまった。そして空いた昼の時間を、別の自分がイヤイヤ働いている。

今は、打算を元に動くのを好む自分が優位にいるからこそお金のことを考えたり、不快をある程度やりすごすこともできているはずなので、それなりに助かっている。ただそれだと今の仕事にストレスを強く感じてしまう。仕事したがってた自分として働くことで、もっと自分を楽しませてあげたいのに、どうすればいいのかわからない。どういう条件でどの自分が出てくるかわからない。

 

そういえば、仕事を始めた頃は、自分を切り替えるコストの方が、モードを維持して頑張り続けるコストよりも大きかったので、ずっとずっと頑張っていた。夢に見るくらいずっと仕事のことを考えていたのでそれで疲れていた。それでも休みがくるとどうしてもモードは強制的に切り替わるので、休みにはかえって消耗していた。

今はモード切り替えもできるようになったし、仕事モードじゃない自分が大事にしているものを味わう余裕も出てきたはずだけども。趣味の自由研究、新しいコミュニティへの参加、小旅行…… それでも、何か具体的なアウトプットをするほどの余裕がない。ブログを久しぶりに書いているけれど息切れして恥ずかしい文章にしかならないし、ターゲットも全く絞れていないしそこに向けた構成を考えることもできていない。

人生を焦っている。何らかの成果をあげて、さらにそれを足場にして先に進みたい。自分にはできることがたくさんあるんだと実感したい。色んな自分を大事にして心身のバランスを保とうとしているのも、できることを増やしたいから。

これまで全力で競争する機会から身を引いていたので、久しぶりに全力疾走してみたかったということを、今更になって思い出した。それでも走る方向を間違えてるんじゃないかと戸惑ってるから、こうして足がもつれているのかもしれない。息切れも気持ち良いと感じられるほど、自分に確信がない。ボランティアが楽しかったときの気持ちは確信が持てたけれども。こうして不安がっているから、ずっとずっと焦っていて打算的な自分から別の自分に切り替えられないのかもしれない。(…というより、今はむしろ打算的で野心がある自分すら疲れ始めていて、とにかく自分の身体と精神が心配。楽しい自分が一番仕事に適応しているのだから早く戻ってきてほしい。)

 

自己実現というと、社会に対する自分という構造に捉えられがちかと思うけれども、自分に自分をどう実現(表現)させるか全くコントロールできていないのがしんどい。ストレス状況に立ち向かうために色んな側面の自分が発達しているはずなのに、かえってそれによって振り回されている。

ブログ書いてると、本当に私は私のことをじっとじっと見つめていると改めてわかる。それを恥じて、普段はすねて突っぱねてしまうような当たり前のことがかえってよく染みる気がする。とても普通で当たり前の助言に従って健康を取り戻したい。