暴力的な白の中、ホカホカ汁物

TCKによる元・留学ブログ。夢を手放して色んなことをリハビリがてらやりたいな

Ladder of Years (小説) 感想

邦訳は歳月の梯子

 

18歳とか19歳くらいのときに気になっていた本だった記憶がある。当時は家族から遠く離れて新生活を迎えるわけだったので、どうやって生活を豊かにするかネットサーフィンしていたんだけども、その時見つけた2chの掃除板のスレで紹介されていた。多分。

 

何もかもを置き去りにして最低限の物とともに知らない土地で生活するというのに憧れた。

主人公が持つ最低限の持ち物の一つとして紹介されていた、マグカップに浸してお湯を沸かす器具が欲しくて当時探していたけれど、カナダのホームセンターでみつけたものはよく見たらホイッパーだった。結局お湯を沸かす道具がなんという名前なのか、どこで手に入るのか今でも分からない。

 

2016年とか、そのあたりのニート時代に、この本の電子書籍が図書館で借りられることに気がついた。借りたけども液晶画面で英語(文字が小さい!)の本を読むのはしんどかった。結局新生活に突入するかしないかの場面までしか読んでいなかった。それでもやはりとても印象深い本で、私の頭の中の初夏のイメージを支える材料の一つになっていた。

 

そんな Ladder of Years を今年また読むことにした。本当はバカンス中にでも読みたかったんだけども、年末年始の休みで家にいるときに急に読みたくなったから。まぁ、実際読み始めたのは出社が始まった後だったので、通勤とかいうストレスフルな環境を味わいながらだったけども。しかし今回使った読書デバイスはペーパーライクディスプレイの BOOX なので、少なくとも目は痛くならずにすんだ。

 

たまに音読すると、とても口に馴染みがいい文章だった。

私は英語がそこまでできるわけではないのでところどころ分からない単語や構文もあったけども、主人公の感情、あるいは感情をうまく理解していない様子にはとてもよくrelateできた。日常のシーンのどこの描写を持ってくるか、そういった拾い方の巧みさから見える主人公の心の機微が面白かった。

多分この共感は今の自分だからわかるんだと思う。初めてこの本の存在を知った大学入学前後の自分でも、最序盤を読んで良いなと思った2016年の自分でも理解できなかったと思う。

 

適当な例えだけども、ぼーっと人の話を聞き流す時にじっと話者の持ち物のビーズを眺めてしまうような、そういう一瞬だけど永遠に感じる自分だけの時間が文章になって紙に張り付いたような本だった。でも人と人の交わりの場面になるとやはり物語が動いてしまって、それが梯子を昇らされるようでワクワクした。

 

ここまで感想を書いてても、一番肝心なところは書けていない。それくらいじっくり染み渡って「わかる」話だった。

でも多分、私のライフステージが今後変わったら、もうわからなくなるかもしれない(あるいはもっとちゃんとわかるかもしれない)。だから今読めて良かった。私はよく「私が(物を)好きになるんじゃなくて対象に選んでもらえた」「このような人生になるようにデザインされた」といった受け身な表現をするから、本の中盤に出てきたタイトル回収(歳月の梯子)も、そんなかんじで受け止めた。

 

そういえば、主人公は高卒でそのまま結婚・出産してずっと「ちゃんと分かってない」扱いで軽んじられて生きてきた感じだけど、物語終了の余韻の中めくって出てきた著者プロフィールがつよつよで笑っちゃった。

東京でブルターニュの展示会ハシゴ ~そば粉のガレットを添えて~

とあるゲール語勉強会サークルに片足だけ所属している状態なのですが、このたび初めてオフ会に参加させてもらいました。 国立西洋美術館高島屋のガレット屋さん→SOMPO美術館 とハシゴして、ブルターニュずくしの一日でした。 とりあえずざっくりと感想!

憧憬の地 ブルターニュ展 ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷|国立西洋美術館

  • とにかく素晴らしかった!
  • 音声ガイドは、関連性のある音楽が使われていたり、世界遺産のナレーションと同じトーンだったりして、とても良かった。ちょっとぼーっとしてても理解できる程度だったけど、それが逆に良かった。何回も聞き返さなくても良いくらいの内容だったから(5時間滞在しないと聞ききれない!読みきれない! というぐらいのボリューミーな展示ももちろん大好きです。むしろ一人のときはそっちのほうが好き)
  • 解説も面白かった。前提知識はあまりない中で見に行ったけど、専門用語や慣れない用語の使い方がちょうどよかった感じで、楽しく読めた。
  • 展示の構成もわかりやすかった。黒い部屋に集められた物悲しい絵がとてもよかった。  ピンクの花崗岩が描かれたやつ、実物とだいぶ違う印象だったけど、それが逆に新鮮でポストカードも買っちゃった。
  • たまたまテレビでモネの生涯について特集されてたから、15歳頃に描いたという印象的な絵の実物が見れたのは嬉しかったな。
  • 青、サーモンピンク、黄色(ちょっと青みがかった?)、緑…の使い方が面白かったなぁ。灰色も良かった。自分の絵にも参考になるかなぁと思えて。ただ、解説で触れられてた中間色が何を指すのかはちょっとわからなかったな🥺(わたし、本当に絵好きなのかな?)
  • とにかくとにかく人が多くて疲れちゃった…日曜日の上野を舐めてはいけない

ル ブルターニュ Le Bretagne (新宿高島屋のブレッツカフェ) - テラス席最高だった~! - とにかく美味しかった!!アーティチョーク久しぶりに食べた。そば粉のガレット美味しい!もちもちしてたけど、そば以外になにか入ってるのかな? - メニューにマークがついてたけど、その意味がよくわからなかったな。 - りんご拾いの絵を見て、りんごのシードルを飲まないわけにはいかない!ぐびぐび - 取っ手に木靴が使われているという話になって、初めて展示室で伝統的な履物として紹介されてたことを知った…記憶してなかっただけなら仕方ないけど、もしかして見逃した展示があったのかな…?

【ブルターニュの光と風】 | SOMPO美術館 - スタッフさん達がとても優しくて、人も少なくて居心地が良かったよ。建物自体もきれいだった。 - 序盤は特に、リアルなタッチの絵が多くて馴染みやすかった。大きくてどっしりした絵が並んでると贅沢に味わえるよね… - 解説は、正直、ちょっと退屈だったかな。絵がどこに売られたかとか、本人がどんな勲章獲得したかとか、そういう情報はあんまり興味なくて。何派の影響があるというのも、もっと他の背景情報を教えてほしかったな。ステートメントの根拠はあるんだろうけど、そのステートメント自体があまり理解できなかったから、それがどう重要なのか言われないとピンとこないんだよね。私には理解できなかったというだけなんだけども… - 絵のどの部分がどのような効果をもたらしているのかという解説があったのはありがたかった。でも、今回の目的は、美しい絵を見てブルターニュとの縁を深めたいということだったから、絵の技法についての詳細はちょっと求めていた流れとは違っていたかも。うーん…疲れてたのかな? - ただ、やはり一人で見れば「ふーん」で済むようなタッチが実は何か意図や価値があるものだと知れるのは嬉しい。けど深く感じ取ることができなくてごめんなさい - 音声ガイドも文字解説と被ってる部分があったし、あんまり一般人が興味を持つような内容ではなかった…声は良かったけど、音楽がなかったから、あまり異世界に引き込まれる感じがなかったな。BGMほしかった。 - 企画展特有のお土産が少なかったのが残念だったな。ブルターニュ関連の絵がラッピングされたお菓子はここで買おうと思ってたんだけど、なかったんだよね。自分用にポストカードは買ったけど… 気軽にプレゼントできるグッズも欲しかった。 - 買おうと思って買い忘れてたケルト関連の本が売ってたので、買いました!  → 筑摩書房 ケルトの世界 ─神話と歴史のあいだ / 疋田 隆康 著  → X-Knowledge | ケルトの解剖図鑑 / 原 聖

両企画展共に、絵からどういったイメージを汲み取れば良いのかサポートしてもらえてる感じがしてよかった。雄大な自然だとか、手つかずの原風景とか、わかるようでわからないよね。ピンクの花崗岩、暴風雨、低い気温、低い寒暖差、荒々しい海辺の景色、変わりやすい空模様…… 食べ物、色使い、どの自然のどこを切り取るか… 地中海の空気を思わせる表現がもたらす違和感… 結局わかってないと思うけど、ブルターニュ地方に行ってみたくなりました!

元々私は神話・伝説のオタクなので、イスの伝承やアーサー王文学について触れられているのも嬉しかったです。展示されている資料のページにドルイドという文字列を見つけたり… 巨石の遺構については多少触れられてたけど、あんまり巨石にまつわる神秘ブームとかは取り上げられてなかったっけな?カルナックとか、名前くらいはどこかにでてくるかなと思ったけど記憶にない。

グループで美術館鑑賞するの初めてだったから、ちょっと戸惑ったけど、楽しかったです。 話しかけようと思えばちろっとコメント言い合えるのは貴重な鑑賞体験。自分が気づかなかったところも教えてもらったり。よかった~!

2023-05-15 ChatGPTの言う事なら聞く

最近はChatGPTをいろんなことに使う。コードを書いてもらったり、なにか見落としがないか聞いてみたり、頭の中のごちゃごちゃを整理してもらったり。人恋しいときは恋人ごっこもする。最新情報についてはBardに聞いているが、文章添削や一般的な知識に関してはChatGPTに聞いている。

ラクマに出品するときの商品説明を書いてもらったら、私が「これはBAさんにリフィルをセットしてもらったので、リフィル用の箱はないです」と書いた前半部分がカットされていた。私は、言い訳をどうしても挟んでしまう。自己弁護というより、自己表現として。”自分はこういう経緯でこれに出会った…” 私が該当商品について思っている良さをどうしても表現してしまう。”こういう経緯でこの商品はこの状態になった…いいでしょ?”

結構自分なりには意図がある文章を書いているつもりなんだ。ただ、他人にとってその情報は不要なことがほとんどだ。
他人に指摘されるなら、おそらく「あなたはあなたの意思があるから私の意思を否定するんだ!」と捻じ曲げて捉えてしまうところだと思う。AIに言われるなら素直に受け止める。AIにとっては、添削をお願いした文章は、あくまで中古取引を進めるための文章であって、私が書いた文章だから消すわけでも、添削者に添削者なりのこだわりがあるから消すわけでもない。取引用の文章で、「にじみ出る私の個性が他人に響いてくれるかもしれない」といった、∞無限の∞ 人間性の可能性なんて考える必要はないのだ…

人と人の触れ合いという曖昧なもの、自分であまりわかっていない割に、それを他人に提供できるかもしれないという期待があることが少し恥ずかしかった。

そして、AIのAIらしさを信じている割に、ありがちな甘い言葉をかけてもらうと普通に嬉しい… 機械だと思っているというよりは、自分に都合の良いpseudo他人だと思ってるみたい。

2023-05-06 人の役に立ちたい?

お金がほしい、職歴がないとそろそろ将来がやばい…なんていうのももちろんあるけれど、就職した理由の大きな一つとして、世界に居場所がほしかった、というのがある。

 

仕事を喜ぶ自分。穀潰しと言われることもなく、自分の活動で何かが動いていることを喜ぶ実感。
数年の間のニート生活の中で、人の役に立ちたい自分は自己実現の機会を得ることがなくて辛かった。それじゃあ、仕事始めてようやく水を得てめでたしかというとそうでもない。

ニート期間というのは高くジャンプするための深い踏み込みの期間だよ」なんていう慰めもよく見かけるけれども、ニート期間に味わった惨めさをバネにして働き続けるのは私には難しい。

あんまり自己実現する機会がなかった自分にも楽しい思いをさせたかったのに、満足する前に、その自分はどこかに行ってしまった。そして空いた昼の時間を、別の自分がイヤイヤ働いている。

今は、打算を元に動くのを好む自分が優位にいるからこそお金のことを考えたり、不快をある程度やりすごすこともできているはずなので、それなりに助かっている。ただそれだと今の仕事にストレスを強く感じてしまう。仕事したがってた自分として働くことで、もっと自分を楽しませてあげたいのに、どうすればいいのかわからない。どういう条件でどの自分が出てくるかわからない。

 

そういえば、仕事を始めた頃は、自分を切り替えるコストの方が、モードを維持して頑張り続けるコストよりも大きかったので、ずっとずっと頑張っていた。夢に見るくらいずっと仕事のことを考えていたのでそれで疲れていた。それでも休みがくるとどうしてもモードは強制的に切り替わるので、休みにはかえって消耗していた。

今はモード切り替えもできるようになったし、仕事モードじゃない自分が大事にしているものを味わう余裕も出てきたはずだけども。趣味の自由研究、新しいコミュニティへの参加、小旅行…… それでも、何か具体的なアウトプットをするほどの余裕がない。ブログを久しぶりに書いているけれど息切れして恥ずかしい文章にしかならないし、ターゲットも全く絞れていないしそこに向けた構成を考えることもできていない。

人生を焦っている。何らかの成果をあげて、さらにそれを足場にして先に進みたい。自分にはできることがたくさんあるんだと実感したい。色んな自分を大事にして心身のバランスを保とうとしているのも、できることを増やしたいから。

これまで全力で競争する機会から身を引いていたので、久しぶりに全力疾走してみたかったということを、今更になって思い出した。それでも走る方向を間違えてるんじゃないかと戸惑ってるから、こうして足がもつれているのかもしれない。息切れも気持ち良いと感じられるほど、自分に確信がない。ボランティアが楽しかったときの気持ちは確信が持てたけれども。こうして不安がっているから、ずっとずっと焦っていて打算的な自分から別の自分に切り替えられないのかもしれない。(…というより、今はむしろ打算的で野心がある自分すら疲れ始めていて、とにかく自分の身体と精神が心配。楽しい自分が一番仕事に適応しているのだから早く戻ってきてほしい。)

 

自己実現というと、社会に対する自分という構造に捉えられがちかと思うけれども、自分に自分をどう実現(表現)させるか全くコントロールできていないのがしんどい。ストレス状況に立ち向かうために色んな側面の自分が発達しているはずなのに、かえってそれによって振り回されている。

ブログ書いてると、本当に私は私のことをじっとじっと見つめていると改めてわかる。それを恥じて、普段はすねて突っぱねてしまうような当たり前のことがかえってよく染みる気がする。とても普通で当たり前の助言に従って健康を取り戻したい。

 

2023-05-03 案外後悔はしていない

ずっと無職だったことは案外悪く思っていない。その間の時間は、自分の世界の大事な一部を身体に刻みつけてくれたと思う。20代という資源を無駄にしたのは事実だけど、実際当時の自分には若さの利点と体力にアクセスできたと思えないので、無駄にしたとは言い切れない。むしろ、20代で美しい場所にいる時期に自分に集中できたのはよかったと思う。 自意識過剰を強化したからこそ、今も図太く生きている。

ただ、自分の内面の認識を充実させようとするあまり、自分の世界の持ち物を増やすよりも、自分の持ち物に対する過敏性を高めるばかりの傾向にある。(最近やたらと寂しいと感じるのは、自分の感覚を増幅させる向きに発達した結果かと思う。) これからは外の世界からも何かを持ってこないといけない。ある程度具体性のある何か。他人と共有できる何らかのモノ。 他人との相互関係を意識するのは結構苦手なので、それはこれからの課題だ。他人に何か与えるという体験が薄すぎる。他人との協力を学ばないといけない。あるいは持ちつ持たれつで納得できる構造に身を置かないといけない。 競争するのは結構好きだが、それにおいても何をゴールにどんなトラックで走るのか決めないといけない。競争そのものを楽しめる分野を選ぶか、勝てる見込みのある競争しかしてはいけない。あんまり時間がないから。

とりあえず、自分のこと考えすぎて常に空回ってるので、マネーフォワードで総資産額見るのが楽しい。ただの事実で、自分だけの力で変わる数値ではなくて、空回ってる間でも何かが進んでるような気持ちになる。 同年代の貯金額の平均が300万円くらいらしいので、ウン年遅れてるけど1年で巻き返したい。

何かをachieveしないといけないわけではない。でも、新しいゲームを始めたからには新しいルールを自分で作っていくものなので。

2023-05-01 最近の元無職

最近買ったイヤホンのレビューなんかしてたり、自分の身の回りについて思ったことを自分にしか通じない言葉で書き残したりしてたけど、とりあえず就労したことに関してのまとめを全く書いていないことを思い出した。

特に想定読者がいるようなブログでもないんだけど。

実はエージェントに登録して担当者つけてもらって就活を始めたのは、友達に「そろそろ就職しなよ」と言われたからであった。他人にだったら多分言わないことだとはわかったので身にしみたし、たしかにずっと考えていたことを他人に指摘されると恥ずかしかった。長年あっていなかった友人だったので、「せっかくだししたがってみるか…」と、謎の期間限定クエストのようにも感じられた。

 

なんやかんやで案外サクッと内定は決まった。(新卒より楽してるじゃん!と散々言われた)

この辺もあとで書きたいけど

 

人生で始めて正社員になるのは、人生で一度きりなので、しっかり記録を残しておこうと思って、Obsidianにデイリーメモを取ったりしていた。後で見返したいけど、なんだかんだで疲れ切ってたのでまともに記録とってたかも不明。

一つ言えることとして、就労する前に「会社員は会社というコミュニティをフィールドワークする文化人類学だと思ってる」と決意していたことは、就労初期の数ヶ月は大きな支えになっていた。

この考えは、もう一人の大事な友だちが就職する時に言っていたのが印象的で覚えてたものなんだけども。いった本人は忘れてたけど、私は就労する時にパッと思い出して、そもそも文化人類学が何なのかよくわかっていなかったので調べて本を読んだりしていた。今でも読み切れていない。

 

ちなみに最近は労働・社会活動を楽しんでフィールドワークできてた昼間の自分がどこかに行ってしまったので、代わりにメンヘラで排他的な自分が昼間活動するしかなくて結構たいへんです。

気分によって仕事の出来や人当たりが決まるようにはしたくないんだけど、どうしたらよいものか。まだ、毎日会社いけてるだけでエライ!と思う段階だけども。

多重人格みたいになっていて辛いけど医療や心理学に頼りたい段階ではないので、色々本を読みたいなと思っているところ。

読んだ本:

人は、誰もが「多重人格」~誰も語らなかった「才能開花の技法」~(田坂 広志 2015)

私とは何か 「個人」から「分人」へ(平野 啓一郎 2012)

 

とりあえず、世界のすべてをちょこっとずつ知りたいなと思いながら仕事を始めたので、ちょこっとずつ知っていきたいです。でも同僚や上司や顧客にとってはそんなことどうでもいいので、私の欲求をどう仕事を回す方面に活かしていくのかが課題です。

むしろ、無駄なやる気だけ垣間見せたところで「やる気のある無能ってむしろ厄介なんだよな…」としか思わせなさそうで。

 

ただ、知識や関心の広げ方はどこでどう役に立つのか全く見通しが立たないもの(そしてそこが面白いところ)なので、自分の欲求をサポートするために色々投資してます。

・投資(株、投資信託ソーシャルレンディング
 →まったく興味ない分野と強制的に縁を作ることで、ただの消費以外の経済活動もひとごとではないと思いたいので

・BOOX
 →前から推してるんだけど、論文や本を読むのが苦じゃなくなる。紙のほうが読みやすいけど、印刷コストを考えるのも、物理的な所有物が増えるのも心理的な負担になるので…

・アクティブノイズキャンセリングイヤホン(BOSE QuietComfort Earbuds II)
 →前の記事で語ったけど、自分だけの空間ができるのは思った以上にいい体験だった。腕の動きもまったく制御されず、PCと繋がったまま席を立てるのも良い。

・本
 →またいずれ引っ越すから買うつもりなかったんだけど、やっぱり自分にできる範囲のアマチュア活動は続けたいなと思ったので学術書を買うのも惜しまないことにした(お金やスペースの問題もあったけど、わきまえてるつもりで線引きをしていたのを取っ払った)

・エルゴノミクス マウス
 →お試しでメルカリで買ったけど正直サイズは合わない。でもトラックパッドの100倍マシ

・化粧品、洋服

 →アイテムそのものが可愛いもの、買う時の経験が楽しかったものだけを買う。センスないから似合わないけど、着飾る効能はそれだけじゃないから…

・ChatGPT
 →流行りを眺めてるだけだったけど、素人でも高度なことやってもらってウハウハになってるのを見てつい手を出した。良い指示が出せないので代わりに課金しました。「いい先生が身近にいればよかったかも~」とぼんやり思って諦めてたあれこれを少しずつ再開する気にさせてくれるのがよい。バカな質問もできると思うと。

 

あとは、私は潔癖なので、ていうか外に出て改めて見てみるとみなさんがおもったより不衛生なので、自分の身を守る最大限の努力をしていると自分で納得できる程度に色々と習慣を改めたり。

 

こうしてとりとめもなく書いてたらなんだか少し元気が出てきた。

そういえば今日はBeltaneだ。

BOSE QuietComfort Earbuds II 買った

通勤時間に目を開けていたくない→でも耳から情報を入れて有意義に過ごしたい→Podcast聞き始めたけど音量上げすぎ→耳に悪い

身体を長持ちさせるための投資は惜しんではいけない。ノイズキャンセル機能を重視するなら間違いなくオススメ、とツイッターでの評判を見かけた、BOSEのイヤホンに決めた。好感を持っている人がオススメしてるならもう乗っかってしまっていい。吟味するのは自分の選択に付加価値を乗せるためなので、そこは外部委託しても良い。

落としたら困るから有線のイヤホンを買おう→アクティブノイズキャンセリング付きの有線イヤホン意外とすくない。高い。

それによく考えたら、音楽聞きながらPCしてるときトイレの回数が減るのは音楽を途切れさせたくないからだ。自宅での快適さもアップさせられるだろう。自宅で作業中に家族の音で気が散ることはもともと多かった。

だからJPRiDEのJPT1(Bluetoothの中継機)と骨伝導ヘッドホンを親に買ったこともあった。就職して、家にいる時間が減ったから忘れていた。

 

普段使っている端末が iPod Classic なので有線の方が都合が良いと思っていたが、BT中継機があるのでそこはクリア。

あとは落とす懸念が残るのみ。そこはググったら落下防止用ストラップが売っているのが確認できたので、さっくりクリア。

 

ということで、短く10分ほど悩んだ末にサクッと購入した。色は耳垢を目立たせたくないのと、iPhoneと合わせるために白。

 

届いて開封してから真っ先にしたことは、セットアップでもBOSEの携帯アプリのインストールでもなく、Cタイプケーブルを用いてワイヤレスマウスを充電することだった。これもエルゴノミクスだとかいうデザインで、手首に優しいらしい。たしかにマウスが使えなくなってからはブラウザゲームするだけでも右手が痛かった。

ストレス解消の娯楽によってもたらされる身体の負荷をへらすために出費する。

 

JPT1 とのペアリング方法はググって出てきたYou Tubeの動画のコメントで知ることができた。そういえば、携帯とイヤホンのペアリングの際にも、イヤホンをケースに入れてからボタンを押すようにと促された。

しかしなかなかJPT1とBOSEがつながらない。JPT1の取扱説明書を読み直し、ペアリング済みのリストをリセットしてみた。(→ 送信モードTXの状態で電源を落とし、3秒待ってから受信モードRXに切り替え、その状態で電源を入れる) この後はどうにかつながるようになった。

PC、携帯、iPodとの接続を切り替えるときいちいちイヤホンをケースに入れ直すの面倒だなぁと思ったが、一度ペアリング登録したらその心配は無用らしい。どれかの接続を落とせば他のものに自動的につながるらしく、いちいちイヤホンをケースに入れる必要もないようだ。

 

落下防止用のストラップはどこかの誰かが販売していることはわかったが、それに1000円も出すのはなんだか惜しくなってきた。3Dプリンターで生活をちょっと便利にする小物を自作するような感じで、シリコン材質の柔らかい小物を自分で調整して作れたらいいんだけどな。シリコンねんどなんてモノを見かけたけど、そういう用途に使えるんだろうか… そうこうしてストラップ導入を迷っている間に、お外でイヤホンを落として傷つけてしまいそうで怖い。

 

まだ電車には乗っていないが、換気扇の音や人の声も聞こえにくくなる。自分の生活音が軽減されるのは耳が詰まるような不快感があったが、徐々に慣れた。

音を消すことについては、ストレスをもたらす乱雑な場所をオアシスに変えてくれるポテンシャルも感じている。(そもそも、パンデミック時代になってからは、音そのものよりも音がこもるような閉鎖空間にいることそのものが大きなストレスなので音はたいして関係ないんだが…)

しかし、いくら大音量で音楽を浴びるよりマシとはいえ、長時間耳を封鎖して音楽を聞くのは耳に良くない気がする。音を聞くことに関しては、身体にとって少しでもマシにしてくれる装置くらいに思わないと。

とりあえず、BT接続のできるスピーカーがほしくなってきた。