ご機嫌な日々からまたガクッと下がるとどうなるのか。
ここ二、三日の私はイライラするので寝逃げしていた。
締め切りがあるのに遅々として進まない上に生活にハリがない。
マズイなと思って散歩はするが、人と関わらない。
作業しててもなんとなく食べながらやりたくて、その時はインプットが捗る気分になる。腹が満たされると失速。
安心できる漫画読んだりウィキペディアサーフィンしたり。でも楽しく無い。
何も手がつかないし、立ってるのも嫌だけど、歩いて何もしないをするくらいしないとエネルギーが邪魔。
このエネルギーは論理的思考や自分のためになると明らかなことにはなぜか使えない。
エネルギーが完全に消えないと眠れないので、起きられるギリギリを毎日攻めることで毎日就寝時刻がズレる。
昼夜逆転。
昼夜逆転がどこから来るかというと、罪悪感やI don't belong here な感覚から来ると思う。
昼間は世の中の大勢が陽の光当たるところで生きていて、同じ時間を私が無意味に生きてはいけないという後ろめたさがある。
後ろめたい時間を寝てやり過ごす。
後ろめたいとはいえど、傲慢なので「私眠いから寝りゅのー」と思いながらスピスピ寝ている。
夜は1人なので、異世界に閉じ込められたまま好き勝手やってる気分。
何か刺激が欲しくてネットはするけど、こんな心持ちでネットしてても自分が社会の一部とは思えない。
楽しくないけど楽しいことができない。
不健全だし、心をどこに置いてもなんか違う。
ということで、ブログに戻って来た。
沈んでる時というのは、ツイートが増えるタイプの沈みと、減るタイプの沈みがある。
日記の増え方とツイートの増え方は反比例する気がしなくもない。独り言と日記では取り組み方が違う。
日記などは自己分析のためなので少し腰が重いけど、後で読み返しやすい。
ツイートはただの「何か言いたい」という気持ちの、言葉にできない切れ端を別のどうでもいい話題に乗せてクシャクシャなままぽいっと投げる感覚。楽。
沈んでいる時はツイートは増えがちだが日記などの文章は減る。
何をしているか、どうしてそんなことしてるか、この状態の時はどうなりがちか、は分かったかもしれない。
でもそれだけだと後で読み返しても意味がない。
さてどうしようか。
エネルギー: 無いわけではない。
Insecurity: すぐ傷つき怒るが絶望感による希死は無い。
身体: 割と体調がいい
という状態。
どうしてやらなきゃいけないことができないのか。
ただエネルギーの発散が下手なだけなので、とにかくやる気が出ないことでも深く考えず手をつけて、慣性で続ければいい。
素晴らしい世界に浸りたいけど、漫画とかは読み終われば続きはないのだ。悲しいね。
その世界の余韻を糧にして、自分の世界に戻れるかが肝かもしれない。
エネルギーを本来充てるところに注げてないのは、多分「ここ(現実世界のあれこれ)でエネルギー使うの嫌だなー」と思ってるからだろうし。
というか、余韻というのは「もう戻って来た…」と自覚する作業でもあるんだ。
余韻スキップして興奮のまま違う漫画読むのはいけないね。
こうやって文章を書くのも、自分の世界に戻るための第一歩である。
自分の軸に愛着がないとヤダヤダ!のまま空回りすることが分かった。
自分を宥める自分の文章、君好きだったでしょ?
そうだ…こんな文章力の自分だけど、そういえば好きだった…
自分と一緒にまた生きていこう…
(こんなんでうまくいくのか?)