暴力的な白の中、ホカホカ汁物

TCKによる元・留学ブログ。夢を手放して色んなことをリハビリがてらやりたいな

許される空間

人と一緒に家電量販店に行きました。

今回は私が付き添いでした。

同じ店に行くのは一人でゲームを買うとき以来でした。

当時は見なかった色んな物を、今日は見て回りました。


一人で買い物する時、「目的のもの以外を見てはいけない」と思い込んでいて、なかなか見て回ることができません。

最近は少しずつ、自分の存在が許されるエリアを広げていっています。

今では、オーガニックストア(というか割高な店)や服屋は一人でストレス特になく入れます。

未だに入りにくいのは、家電製品店、化粧品店、靴屋、アクセサリー店とか…


今日は、「自分が自分を許せてないんだなぁ」と気づいたのでした。

育っていく過程で得た、「ブス」「身の程を知れ」「まだ子供だから何もしようとしなくていい」「色気付いちゃって」みたいな数々の呪いを真に受けているからです。

自分自身の選択に何も自信が持てず、自分が正しいかも確証が持てないのに、これまで呪いを植え付けてきた他人を否定するのは容易ではありません。

自分自身の問題にしてしまえばモヤモヤが解決しなくても少なくとも問題解決処理のループは自分の中で完結します。大勢の他人を否定する必要はなくなりますし、染み付いたものを取り除くのは大変ですから。


でも自分自身を呪いで屈服させ続けるのが楽だったとして、それで?

そういえば、今日の雑談中に私は「人が社会のためにあるのではなく、社会が人のためにある」と言いましたし、夜に読み返した漫画のおかげで、私が生きてる目的は自分の頭の中の世界の世界観を発達させることだと思い出しました。

私の世界観では、呪い(※今更ですが、植えつけられてしまい自分でもつい従ってしまう、不都合な圧力のことです)は悪です。

それに、呪い含む社会に生きようと、私が呪いに苦しむならそれに流される必要はありません。

別に私の存在で社会が脅かされるでもないし、私を不安がらせる社会には内心強気でいて大丈夫。

呪いを得た場所と今住んでる場所は違う社会だけどね…!


色んなアイデア商品を見て、今の一般人はガジェット投入で様々が生活範囲内で可能になったのだとしれました。

それは私の意識をアップデートして、私の認識する世界と私の頭の中の世界観をすり合わせるのに役立ちました。

私の中の世界は、確実に世界の一部なのだと分かります。

心地よさを覚える空想上の風景は、現実世界である程度再現が可能なようです。