暴力的な白の中、ホカホカ汁物

TCKによる元・留学ブログ。夢を手放して色んなことをリハビリがてらやりたいな

疲れたけど面倒だけど待ってよ

あまりにも生きることに疲れた。

多分かれこれ10年くらいはずっと疲れてたんだと思う。

若いのも、もっと大変な人がいるのも、結果が出ないのも、疲れをなかったことにはしなかった。

とにかく何もしたくないし何もかもつまらない。

 

人と関わるのも疲れるので、関わらないようにしたけれど、やはり大多数にとって魅力的なわけでもない人間が関心を示さなければ、みんなもこちらに興味を示さない。

人間を認識するめんどくささを惨めなまま死んでいく恐怖が上回った時、ふと人に話しかけたくなる気分を沸き起こすハイが生じる。

ハイのままに会話して、内心「最悪、もう話しかけないでくれる?」と返されないかびくびくする。

相手に興味がないわけではなく、魅力的だしもっと知れたらいいと素直に思う。

でも相手を知るための場を固めるプロセスが楽しくない。つまらない会話をけしかけてごめん。

相手は私に興味がないのだ。相手の表面的な魅力を期待するだけで、他愛なくとも確かに互いに向き合えている時間を大事にしない私と同様に。

 

体が痛いので、早めに寝た。といっても、昼夜逆転中なので、昼間に寝たいのをがんばって活動し続けて夕方まで待ってようやくだった。
この日は早朝から活動しっぱなしだった。楽しかったけれど、辛い中体を引きずってやったことだった。やりたいことリストは一つを除いてすべて達成した。

次の早朝(というより真夜中)に目が覚めた。もう寝れなさそうなので、「必要なら日中椅子に座って昼寝しよう」と思って起きだした。

本当にやりたいことがない。人生のこれまでのすべても些細な暇つぶしで、これからも暇つぶしのためだけに茶番じみた苦難を歩んでいくのかと思うと気が遠くなった。

社会復帰してもしなくても恐ろしいほどつまらなくて、面白いことや感動することに直面しても、白けてしまう劇中劇みたいなものなのだろうか。

こう感じて気が滅入るのも、心身が不調だからに違いない。

朝起きだすにあたって、何をするかを考える。そのために前日のことを思い返す。

昨日はたくさんのことをしたな、(達成感を味わうまでもなく)疲れたから二度とごめんだな。昨日はなんとかなったけど、今日は何時間もやり過ごせる気がしない。ああ嫌だ、何時間も苦しい思いしなきゃいけないのはつらい

もしかしてずっとこんな風にかろうじてかろうじて生きていくのか

 

何もしないで何もかも諦めてずっとずっと眠っていたかったけれど、そうもいかず、おなかも減る。とりあえず大学に入りたてのころ気張って毎朝五時ごろ起きて食べていた朝食を思い出し、その頃の健気さで自分を勇気づけて起き上がる。

ふわふわ羽衣で浮かされているような気分でいることにした。自覚があるとしんどいから。

消化が悪いとたぶん胃腸がもっと痛くなるので、ハムスターみたいに頑張ってたくさん噛んだ。大学一年の気張ってたころのように、立ったまま食べた。

疲れたので座った。世界の新たな地点に来た大学一年のころとは違い、世界が閉塞的に感じられてつまらないので、外界への窓のつもりでパソコンを立ち上げた。

更新が始まってしまったので、手持無沙汰に散らかった机の上に置きっぱなしにしていた小冊子を手に取った。かつて意識を高く保とうと必死で参加していたイベントでもらったものだった。とある著名人のbioが載っていて、「よくもまぁたくさんの歯車を動かす初動を持っていたな」と、あらゆる社会人に普段感じるようなものを抱いた。

でも羽衣で浮いているので、すごい人を見てダメダメな自分がガーンと沈むことはない(比べることすら分不相応のようでも、いつもあらゆるすごい人に圧倒され嫉妬してしまうのだ)。その小冊子を読み進めた。「〇〇するには:」などのtipsが簡潔にリスト化されている。でも心配事を乗り越えるという項目にはただPrayとだけあった。最後の項目の一番最後には、Don't worry about insomniaとあった。

信じているものがあると公言している友人といると、たまに食前に祈りを聴くことができる。食前でなくとも、人が祈るのを聴くのは好きで、自分でもたまに祈ったりする。些細だがそういったバックグラウンドの思いがあるので、一言だけのPrayにやたらと説得力と「だよね」を感じた。多分今こそ祈ったらいいんだろうけどそれは別。

そして眠れないことを心配したって仕方がないのも「だよね」と安心した。自分が自分にかける言葉の、なんとも無理やり納得させる努力の涙ぐましい、情けないこと。

「入眠という、違うモードに入る行為は、脳内のギアチェンジが難しい人間にはとても難しいこと」だと自分でわかっているつもりでも、今の自分が自分に言い聞かせている限りでは「まぁ、確証はないけども、私にとってはそうだからそれでいいんだよ!」という諦めが前提なので、結局虚しい説得にしかならないんだ。

とにかく、authorityがある人間が一言そう言い切れば、心は少し前向きになるんだ。

 

まるで小冊子の前向きさにあてられたかのように、意識をふわふわ無関心に浮かせる羽衣は、indifferentなぼんやりから自分のための前向きさにギアを小さく入れ替えたようだった。

ああ、めんどくさいな、何もしたくないけど…今この場で一番したくないことってなんだろう。それをまず済ませてしまおう。

洗い物を片した。めんどくさかったけど、もとよりこの日は羽衣付きのふわふわな心なのでめんどくささを生身で感じなくて済むのだ。ぼんやりと手を動かした。