暴力的な白の中、ホカホカ汁物

TCKによる元・留学ブログ。夢を手放して色んなことをリハビリがてらやりたいな

わかってやってる思考と、謎の不安と、表れただけの昼夜逆転

今回は昼夜逆転の治し方と、無理に今の自分以外に目を向けて昼夜逆転に戻った原因と思われるものを書いていきます。治し方というか、何かをしたら何かに気づいて、いつの間にか治ってたってレポ。

 

今の私は肩書のない引きこもりで、昼夜逆転と運動不足から悪化した体調不良と、もともとあった色んな面の不調に悩まされながらとりあえず生きています。

一日一ターンしか行動をとれないといいますがそうですね。昼夜逆転してると、起きてる時間にできることも限られているので本当に何もできません。

というか体が痛くてだるいし、生きる気力もないので何もしたくないんだけれど、禅のマスターでもないので真の”何もしない”はできないという。

とはいえ、昼夜逆転、治ってたんです。二週間ほど。

午前中に起きて夜に寝ると、体の重さがだいぶ軽減されますね。

何して治ったかというと、

毎日ずっとゲームして何も考えずに生きて、目を開けられなくなったら寝て、その繰り返しの中で「あ、私本当は夜寝れるんだ。何もかも手放してみることができれば、夢は訪れるんだ」と気づいたら、深夜2時に少し寝れた。少ししか寝なくて疲れたので、次の日は夜に寝れた。

手放すというのは、自分の社会の中の立ち位置の自覚とか、人との関わり合いとか、何が好きで何のために生きるとか、どうして寝れないんだというイライラとか、あれをしなきゃとかそういう考えをとりあえず今の自分に関係ないことだと決めたこと。

朝起きてても別にいいし、体が重くても痛くてもだるくても、それは後になってからどうするか決めればいいのでとりあえずトイレいってご飯食べよう。そう自然と動けるようになりました。

 

でもここ数日でまた寝る時間が遅くなってきています。今も夜中の四時とかに書いてるし。

思い当たる要因が、友人に出す手紙を書いたり、人とご飯食べてたくさん会話したりしたこと。

本当は人と関わるのが大好きで、友人への思いやりや関心を持つ人間ですが、そういう文脈の心境にもっていかないとそうならないわけで、おひとり様モードの時はもちろんやさぐれたりアマノジャクだったりするわけで。

人付き合いが疲れるのではなく、友愛的文脈の心にもっていくこと自体が疲れる。

だからそういう心で言動を動かす必要があるような場面を極力排除したい。誰とも会いたくない。視界の端っこのところはぼんやりしてるように、参ってるときは色んな繋がりが自分からは遠くて色あせて見えるものよね。

自分は社会の中の個性なんだって思えるような心境、つまり個性の顔をひっさげられるような社交派モードにスイッチが入った時点では人との交わりが楽しいんだけど…

落ち着いた後は高ぶった自我が暴れだして眠るのが怖くなる。(心理学用語としての自我の意味はいまだによくわかってないし、自分でもこの感覚がよくわからない…多分、遠ざけていただけでたくさん考えたり覚えたり意識したりしてた事柄がワーっと洪水のようにあふれてくる感覚)

色んな楽しいことが生きてるうちに待っている。でも自分にそれらを選ぶ権利があって、それを行使するなら物の手順を考えて更に実行もしなきゃいけない。そして同時にあらゆる挙動が未来と過去の手順の連続だと確認しながら時間軸進めなきゃいけない。

この間の休日、ちょっとした新しい趣味に必要なものを買いに出かけた。道中私はとても不安で、帰りたくてでも帰ったからといって不安がとれそうにもないので歩き続けていました。棚を見てどれを買うか決める。でもその裏で脳内では自分の挙動が不安で不安で泣きそうでした。他人からどう見られるかとかではなく。

自分が朝起きたこと、食べたもの、人にかけた言葉、買い物に行くと決めたこと、買い物の道中で通る道と歩き方の選択…それら過去の手順と、
自分がこれから就くであろう職業、生き方、付き合う人々、選ぶ趣味、食べるもの、着るもの、今夜の予定、明日の予定、あ、買い物に行くんだからここを通るんだ、あ、ここの段差降りて足を踏み出さなきゃ…これら未来の手順。

どれも今の自分に関係がないわけじゃないので、意識しようとしなくても、もし意識したら抱くであろう不安はしっかり感知してしまう

右足、左足、上って、降りて、買い物行くのやめる?いや帰らない、私ニート選んだねそうだね、もし〇〇することになんとなくで決めたら50年後後悔するのかなそんなの知るか 色んなカードがiPodのカバーフローみたいに連続してて、前後をパラパラと行ったり来たりしながら、”今”がどのカードからどのカードに移行していくのかじっと観察する。参っちゃうにきまってるんですよ。

それに、私は昔からspectacularな夢ばっかり見る。とても楽しいから眠ることしかしたくない!と昼夜逆転中の数か月前の私は思っていたものだけど、夢の中ですら物語に、複雑な手順と思惑の連続に追われなきゃいけないということが今はとても怖い。

ここ最近感じてる不安や恐怖はこういう感じのもので、だから眠れないのかもしれない。

 

 

今の私にとって、自分のことは「あーラーメン食べたい」と同じくらいの欲求で、飽食の時代にご飯食べなくたって別に死なないし、体に良くないといってもそもそも体を大事にしなきゃいけない状況でもないので、どーでもいいことなんだよなー

でもどうでもいいとはいえ、満たすことはとても気持ちの良いことなんだよ。「あ、興味に従ってみたい」「あ、いいはたらきをしたい」などをいつか満たせたらいいよねー。良いものだと信じれる行動をとりたい。これはわいてくる欲望というか、自分の意識のベースにずっとあるから多分大事なんだ…

 

「あ、面白い」を満たすためにここ三日ほどは漫画を読んでいます。無料で読めるやつにしよーと思って面白そうなの読んだら、まんまと「続き読みたい」「この作品と作者ならお布施したい」がムクムクわいてきてつい買っちゃうよね…

たそがれたかこ」という漫画を読んでいます。よく観察して再現してるなぁといろんなところに思います。私はなかなか周りを見ないのですが、少なくとも私がよく意識するものが表現されてると感じます。手放しに元気づけるわけではなくて、まぁそこ(大人の癒しの場描写だけでない、人々の繋がり合いや問題に向き合う様子)が読んでてしんどくなったりもするけれど、作者の誠実さに向き合いたいと思えるし安心できるんだよねー