暴力的な白の中、ホカホカ汁物

TCKによる元・留学ブログ。夢を手放して色んなことをリハビリがてらやりたいな

わからないなと自覚することがうれしい

展示会も無事?終わり、しかし展示会前にあった「毎日何かする」という意識を継続させている毎日です。
平日は作業やインプットに明け暮れる(というほどせかせかしてもいないね!)。

そしてアニメを見まくるのもそのうちでして。

英字幕で見る意味

私は軽い字幕オタクなので、とにかく英字幕付きでアニメを見るのが好きです。

言語には文化規範などがついてくるもので、同じ意味の言葉を並べても言語が違うと印象が違ってくるものです。

しかし文脈を理解するためには意味ではなく印象を合わせる必要があると思います。

多数ある似た意味の言い回しでどれを選ぶのか、どこまで元のセリフにないものを訳で持ってくるのか、そういうものをリアルタイムで元のセリフと照らし合わせて見れるのが楽しいですね。

わからないものを見つける歓び

そして、もちろん私も日本語英語ともに完全に理解できるわけではないので、片方にわからないところがあれば調べたりメモしたりします。

その調べる作業もまた楽しい。「わからない」があることを、引きこもりの私のお気楽な趣味からほどよく見つけ出せるというのが楽しい。

もちろん私にわからないことなど世界にいくらでもあります。というかわからなすぎて、全てに興味を示せば頭がパンクする。そして私はパンクしてしまうような人間で、心が少し病んだので今はあえていろんなものから離れています。

アニメ、漫画、音楽などは特に理解しようと頑張らなくてもそれなりに楽しいものです。文章は文字を理解できなければ理解できない自分を責め始めてしまいますが、絵や音はそれ自体pleasingなものですので。(詩はちょっと絵とかに近いかなぁ…)

要するに、わざわざ調べなくても楽しいものから「わからない」を拾い出せる自分に喜びを見出せる。それはわざわざ調べないといけないような難解なものはやがて自分の体力不足で諦めてしまいがちだし、「”わからない”に目をつけることのできた自分スゴイ」と誇らしく思うこともできるからです。

好奇心は自分で育てる

私は好奇心が強くて「楽しい」を仕事にできるような人(アカデミアに残る人、精力的に仕事する人など)を見ると嫉妬してしまいます。私の好奇心は挫折に負けたからです。仕方のないことですが、人が自身を責めるのはよくあることですし、嫉妬もよくあることで。

私も割と好奇心が強い方だと思いますが、興味関心を行動に移し継続するのは苦手です。おそらく興味が別のものにすぐに移るからだったり、体力不足だったりもあると思いますが。

先ほど、字幕の中のわからないものを調べる時の高揚感、そこから語学や言語への興味にも火が移り、軽くoverwhelmedにならない範囲で関心にまつわるキーワードで検索をかけたりしました。「ぐぐる」というワンクリックの行動ですが、行動は行動。そしてこの時思い当たりました:「もしかして好奇心で行動を起こせる人というのは、高揚感の火が消える前に別のものに火を移し替えるのを繰り返して火を自分で大きくするのが得意な人なのでは?」要するに、一人で勝手に盛り上がって色んな物事を脳内に巻き込んじゃえる人が、私が漠然と嫉妬していた人なのでは?と。

アニメ字幕でわからないことがある→わからないものを調べる→好奇心が満たされても好奇心の火が別件につく→別件を調べる→(もしかしたら別の行動に移る?)→(もしかしたら色んな好奇心を満たす行為を後から見返したら何かを習得するにまで至るのか?)

もしかしたら当たり前のことかもしれませんが、私にも関心を行動に移して更に別の行動を起こせたということが嬉しかったのです。

ちなみに、字幕のわからない単語を調べた後調べたキーワードは「言語 文化規範」です。前から見かけていた概念ですが、どういう感じで提唱されているのかと思って。言語学はよく分かりませんが、これを意識してドイツ語や中国語を読んでみたら楽しそうだなと思いました。文法を学ぶ語学自体も好きですが、言語に何が引っ付いてるのかも楽しそう。

無駄に大見出しを随所に入れてみた

挫折して以来、あらゆることへの強い興味、情熱などが消えて、人生で何がしたいのかもよくわからなくなり、何もかも面倒になりましたが、死ぬつもりもない。せめて生きやすくするために楽しみを見つけられる自分に建て直さないといけません。まずは些細なことから「ここまで建て直せたんだなぁ」と自覚できるように。そして自覚するたびに喜びを味わえるほど心に情緒が戻ったことにありがたみを感じます。